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 その日の夜、その直線道路に集ったサークル関係者は軽く10人を超えた。
 朝霞の車には、亘理幸村や風原尊志の他に、噂を聞きつけた遥か上のOBである間下修(ました・しゅう)も乗ってきた。
 残りの人間は殆どが原チャで参加したのだが、中には自転車で駆けつけたものもいる。
 東北の九月は、思ったより夜は冷え込む。海岸付近では、海面との温度差が生じ、霧が発生しやすい。
 そんな気象条件の下、これから原動機付自転車の戦いが始まる。

 今夜の走りにおいて最も重要なのは、最高速度である。
 基本的には原チャのメーターが振り切ってしまう、という理由で、今夜はクルマを呼んでいる。つまり60km/hは超えるようなことになることは予めわかっているのである。
 原チャがコンスタントに最高速度を出せるように、下り坂、追い風などを考えながら、コースになる道路を吟味していく。
 そして比較的直線の多い区間を選ぶ。それでも途中にコーナーを2つ挟む。つまり多少はコーナーリングのテクニックも問われるわけである。それを往復することで、片道を下り坂、片道を追い風に充てられる。
 そしてやはり・・・、ここには女性はいない・・・。さむ。
 それはさておき。
 他の走り屋さん、警察の有無を確認した後、いよいよ測定は始まった。
 殆どの原チャは55km/hを超えたあたりから自動的にエンジンブレーキがかかり、それから速度計は急降下する。『三郷市』というナンバーの原チャ(この種の原チャは一般に「カヴ」と呼ばれる)に至っては、その変速の複雑性とエンジンそのものの出力との兼ね合いもあり、『白い異邦人』(この名は一部の人間しか知らない)に追突されそうになりながら直線を走る。『鎌倉市』の原チャは、運転手自身の空気抵抗のため(本人の名誉のために付言するが、これは身長によるものである)にスピードが殺されている。『浜北市』の原チャは善戦するも、視界を遮られやはり不本意の成績に終わる。
 そして本命視されている原チャの登場である。
 例のリミッターを外してあるという原チャは、石川島が往路、石津が復路でそれぞれ記録を出して、観客の注目を浴びた。
 石川島は追い風を参考に、コーナーぎりぎりまで加速する。そのコーナーから立ち上がるときには、すでにフルスロットル、という細かいテクニックで、原チャの身でありながら78km/hをマークした。この際、そのコーナーで『白い異邦人』が、他の人に気づかれないようにドリフトしていたことは、この場でのみ記述できることである。
 それに対して石津の原チャは、下り坂での一気の加速に重点をおき、これもまた78km/hをマークした。この際、ストレートの加速で、ギアの変速ラグの都合上、一瞬『白い異邦人』が引き離されそうになったことも付言しておく。
 かくして勝負の行方は、この二人のどちらかにいくものだと思われた。
 『伊那市』の走りを見るまでは。

 霜片出陣の直前に、おぢいちゃんこと風原は霜片に向かって叫んだ。
「シモヒラ、お願いだからうちの代の恥さらしになるようなことはやめて頂戴!」
 それに対して、隣の幸村は、
「いいや、シモヒラ。ここでこそ上級生の腕の見せ所だ! しもしゃのおまえが、こんなところで負けるんじゃねえぞ!」
 と鼓舞する。
 そんなことは重々承知である。しかし彼の頭の中では、依然葛藤が続いていた。
「こんなことで有名になってしまっていいのだろうか・・・。」
 そんな心境を余所に、無常にも測定開始のときは、すぐそこにまで迫っていたのだった。

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